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前回のおやじの会で神父さんから「プロのミュージシャンが使う楽器のなかで、ピアノが断然安いそうだ」って話しがあったけど。朝日新聞の日曜版に同じような話がありました。結局、複雑で精密で練りに練って開発された近代の楽器のために、ネコが踏んで出た音も、プロの叩いた音も単音で聞く限り科学的に差を証明できないということに原因があるらしいのです。ピアノは演奏家のセンスによる音の連続によってその素晴しさを発揮するもので、楽器本体を作った人の技術が左右する部分がほとんどないので、ギター、バイオリン、フルートなどのように、ミュージシャンが楽器本体の製作者の価値を吊り上げて値がきまることはないそうです。まあ考えてみれば、もっと現代になって工場で出来たキーボードとか、エレクトーン、そしてリズムボックスなんかに至っては、誰が考えても演奏家の力量のほうが重要で、値段が高くなるわけないですよ、でも、どう考えても楽器の工業製品としての価値はピアノなどのほうが、手間も場所も高コストのはずなので、かわいそうだな〜ヤマハの工場のひとたち
元気ですか?暑くてジメジメして、過ごしにくい季節ですが、子供たちは夏休みを心待ちにしているようです。夏は子供連れてどこか行かなくては・・・と思う今日この頃。とりあえず、16日から18日に北海道に行きます17日のミサは札幌で預かる予定です。
行って来ます、行ってらっしゃい、ただいま、おかえり…日々繰り返す台詞ですが、みな、美しい日本語の一つです。一人暮らしの人は、これらを省略した日々がほとんどかも知れず、こんなちっぽけなことでも、日々積み重なっていく孤独感は辛いことでしょう。「行って来ます」と家を出たのに、到着先で「おかえり」と迎えられるのが、教会であり、聖堂であり、ミサだと思っています。これは、日頃の日常的な使い方とはちょっと異なり、反対の変わっていることのようですが、家族のわが家より、神のいらっしゃる家(教会、聖堂、ミサをする所)が上だということを、よく表している言葉遣いだと思います。だから、神様の家に出かける時は、いつも「ただいま」の気分で行きたいですし聖体拝領の時も、いつも「私の体の中に、ようこそ、いらっしゃいませ」の気持ちをもって与りたいっす。そして、いつも、私の中の隅々までにイエスの体は、行き渡り、心の中まで染み渡り、慰めて下さいます。私はミサに「ただいま」をしに行くわけですが、いつも私のところにわざわざ出かけて来て、愛して下さっているのは実は、主なる神です。このようなことは、日常的言葉遣いに励んでいる時などにはすっかり忘れてしまっているので、せめて聖体拝領の時くらいは「主イエス・キリスト。ようこそ、いらっしゃいました」と、感謝の祈りをするわけですね。以上、本日(6/26)ミサでの800様のお説教をきっかけにして家で静かに、思いの時を過ごしました。
なかなかコメントしずらい書き込みですが、コメントいれようっと。僕もそんな感じで、朝のミサでイエスさまとその家族の高円寺のおばさんに「おはよ〜」いいにいってる感じですね。今日はペドロとパウロの祭日で僕と嫁さんで朗読しようと思っていたのに、嫁さん病気になってだめでしたよ。残念でした。普段は死人にせいじんとか複写とかって変だよと人にいってるのですが、ヤッパ祭日は娘に聖人の説明とかしちゃうんですよ。(本人一応聞いたあとに、ア〜、神様関係ってことね、神父様より素敵?と聞いてきます)そんなことはいいのですよ、子供にキリスト教の話しする自分に酔ってるだけですから。
自分の霊名の祝日には、朝ミサ出るべきだった!!!しまった…!!!7/2にでも、後の祭りしよーっと。
堅信式だというのにまだ堅信名決めてない〜〜!あせるなぁ。
そろそろ決まったですか?良い名前と出会えるといいですねー。マリアは元々女性で、男性形はマリオ。マリアベルダデッタを、男性形にしたらマリオベルダデット辺りかな?良く分かんないけど誰も、そんな選択はあんまりしないかな?(^^)僕の堅信名は、ヨゼフです。幼児洗礼だったので、洗礼名は親が付けてくれたペトロです。父がパウロだった影響と、僕の誕生日が霊名の祝日と同じだった為だと思われますが、自身の選択ではなかった。でも、ペトロで本当に良かった。中学生くらいの時から、堅信名は自分で決められることが嬉しくて、あるきっかけがあって、ヨゼフにすると決めていました。なんとまー、ヨゼフ様は、男として凄いと思ったんですね。まだ、妻マリアとの夫婦としての生活もろくに始まっていなかったのに、マリアはイエスを身ごもる…このショックは普通じゃない。本当に総てを信じ切っていなければ、イエスの父にはなれなかった筈…母校のチャペルに、幼子イエスを抱くマリアの隣に、彼らを守るように、ヨゼフが寄り添う像がありますが、良く見るとヨゼフの手に持っているのは、大工道具の金曲なんですね。うっかり、小さな十字架かと思っちゃていたんだけど、ある日の昼休みに、チャペルでずーっと見つめていたら、気がついたんです。この時の気づきが、堅信名をヨゼフにする決定的な瞬間でした。総てを信じて、大工として働き続け、最愛のマリアと幼子イエスを守る姿…これは、おやじの鑑だと思ったんです。自分もそんな大人になる為の、決意を身に付けるため堅信名はヨゼフにしようと思いました。ところが…今の、日々の自分を振り返ると、ヨゼフ様の足元にも及ばない、情けない有様です…もう一度、数少ないヨゼフ関連の聖書の箇所でもひも解いておやじの今こそ、ヨゼフ様の初心に帰らなければ…などと、思います。いや、その前に洗い物かな?(^^)
そういえば、そうだっただよ〜。よんよん速くきめてね〜。今度の金曜に高円寺オリジナルのけんしん証明書を入門係の金曜クラスとリーダーたちで書き込みます。だけど印刷があがるのが木ようびの夜なのでハラハラです。代父母もいっしょにはいる集合写真を二階からとりますよろしくね!
ようさま、相変わらず頑張ってまんな!あなたは偉い!ジョゼフィーヌ なんかは、どうっすかね?(^^)
えっ?ジョゼフィーヌって誰?だーー、今また新しい候補??
ちょっと、おやじギャグ気味のノリだったんですが、すみません。ジョセフィーヌは、ヨゼフの女性形かと思っているんですが違うかな?…堅信名として正式名になるかどうか分からないけど、ヨーロッパやアメリカなどの女性の中には、ジョセフィーヌ さんがかなりいると思うから、たぶん大丈夫かな…?と思ったんですけどね。もし、有力候補とするなら、一度確認してみた方がいいですね。いずれにしても、ヨゼフの女性形は、よんよんにぴったりの気もしますね(^^)
あっ、ジョゼフィーナってそうだったのか!!ジョンビンさんの堅信名を決めるときのお覚悟を呼んで、ジョゼフィーナいいかもしれないって激しく迷いましたよ。もっと時間があったら迷い続けたかもしれないけど、いくらなんでも今日中に連絡入れないと堅信名なしになっちゃいそうなので、「セラフィーナ」に決めました。お騒がせしてすみません。というわけで、ようさま。教会には一応電話入れてあります。どうせなら、みなさんの洗礼名や堅信名にまつわるお話聴きたいです!ようさま、教えてくださいね。
この、よんよんのメッセージがきっかけで今回、僕もちょっとだけ勉強しました。僕の知らないことを教えてくれたのは、以前、よっちゃんの知り合いのここにもメッセージを書いてくれる、kさんのサイトにある、伝言板にカキコしている方々です。http://6128.teacup.com/rarara/bbsここは、いつも賑やかだし、フランスっぽくて面白いです。みんなの名前決めの話は、いろいろあって面白そうですね(^^)
いま教会から帰ってきました。私は今回堅信をうけますが、ペトロを名乗らせて頂くことになりました。「僕は成人洗礼なので、パウロやペトロだのはおくがましくて名のれなかったよ」と高円寺のとある女性に言いました。すると数日のちにうちにハガキがその女性から来まして、きのう私の前にイエス様があらわれて「アサカヨウジはペトロを名のれ何も臆することはない」といったと書いてありました。同様のハガキが3通ほど同じかたから届いたので、名前をつける気なかったけどつけることになりました。
堅信式お疲れさまでした〜。ようさま、それはすごいですね。でもなんでご本人のところにイエス様は出てきてくれなかったんでしょう?ところで今日撮った集合写真は、ひとり1枚なんですか?代母さんの分もほしいんだけど。(買えるなら買いたいな)
第10回『おやじの会』は今週土曜日19:30からです。翌日はボーイスカウトのバザーが教会構内で行われます。ボーイスカウトの皆さんにはいろいろ助けていただいておりこんなときに感謝の気持ちでお手伝いができる方は『おやじの会』参加前に13:00頃から会場設営等に参加しませんか?途中参加でも構わないと思います。『おやじの会』世代の信者の方は積極的にいかがですか?ジョンビンさんの日韓交流については非常に興味あります。先日教会でも少しお話しましたが『おやじの会』世代(パワーがあるのであれば『おやじの会』予備軍も)で特派員みたいな感じで参加を募ってとにかく実行しちゃいましょうよ。あとは宣教協力体として今年から高円寺、吉祥寺、荻窪のそれぞれのバザー(当教会は「教会祭り」)への交流が始まろうとしています。せっかくなので『おやじの会』も同世代で交流できないのかなと思っています。賛同していただける方はいっしょに具体化しましょう。もちろん基本は「普通の飲み会」ですから「こういうの嫌だ」という方はサラッと読み流してください。
教会の外にも目を向けるセンスは大切だね。自分が所属する教会のために、いろいろと頑張ることはもちろん大切だけど、たまには外の人々とも出会わないと気がついたらすっかり、内に篭った付き合いばかりになってたりして…私は、生まれてからずっと高円寺所属ですが、特に20代の頃には、同じカトリックでも、教会の外でのいろいろな新しい出会いや活動に夢中でした。振り返ってみると、こちらに訪ねて来てくれて出会った人よりも、自分から出かけて行って出会った人の方が、なぜか、記憶が強烈で今でもお付き合いが続いている人が多いなー。今まで何度かおやじの会に出席してみての感想なんだけど何よりも、集まる人たちがふらっと来るのが良いね。あと、「おやじの会」は、何かの活動と言うよりは、単なるただの集まりなんだけど、高円寺教会を愛する者同士、互いにいろんな立場の人を受け容れ合って、良き分かち合いができる、一緒のひと時が楽しいわけで、明日のパワーや二日酔いを生んだり…(^^)日頃、教会の中で1個人としてミサに与ることから始まり、平和の挨拶をする時、自分と大して変わらない?人たちが一緒だから…その人達は、本当にいろんな人達なわけで、そのほんの一部のおやじ同士が、平和の挨拶の続きを延々とやって…ホッと一緒になる集い…というような感じかな…20代の頃の自分のように、いろんなカトリックの活動に熱心に、ビシッと準備して、議論し合って、分かち合って、学んで…途中、かなり、草臥れたりもして…やることは今の自分には無理。抱えているものや雑多な責任などが当時とは比較できないほど多くて、情けない…。でも、ここ一番では、神様が喜ぶことを、何でもやり切る信仰を忘れないように導いて下さい、などとお祈りしたりして…。今や、40代になっちゃって、平日の自分は、ただの草臥れおやじ…日曜のミサなどでも、まずは、安らぎがありがたいです。今は、20代の頃のように、ビシッと準備の活動に頑張ったり議論し合ったり…は、正直ちょっと苦しいと思っています。ただ、おやじ同士の真剣な話(時には、互いの心をぶつけ合うような)も時にはいいですね。今の私は「活動」というような意味合いではなく、ふらっとした、人との出会いに魅力を感じます。それは、韓国でも、お隣の教会でも、バザーでも大して変わらないと思っています。人同士の出会いこそ、あんまりビシッとしない方がいいです。ただ、一緒にふらっと行く為には、待ち合わせしないといけないから、日時と誰が行くのかは、決まらないとね。もう、とっくに売り切れちゃったけどソウル往復\14,500.- というのがあって、しょっちゅう韓国に往く自分も知らなかったので、ちょっとビックリ。http://www.abi-j.com/長くなりすぎたので、もうやめます。じゃあまたね。
- KENT & MakiMaki - 携帯用改造:湯一路